F*your Internet

ゴミみたいな記事を目指します

思考を止める101の方法

順不同

料理をする

一部の人達にとって料理というのは食べるものであって、それ以外の動作は付随する嫌なものでしかないかもしれない。しかし料理というのは実は作るものである。出来上がったらそれはもうどうでもいい。食べたければ食べてもいい。 手間は掛かれば掛かるほど楽しい。

  1. 麻婆豆腐
    • 手間は実は大してかからない代わりに調味料が多く必要となる
      • 極小の火でひき肉をのんびり炒めることだけ気をつければ、どうとでも作れる
        • タイミングが重要とかいうものじゃ全然ないので好きに作ると良い
      • 洗い物は多くて油汚れも多いかもしれない。
    • 豆腐は焼き茄子にすれば麻婆茄子だし、実は好きなものに置き換えれば良い
      • これをフリースタイル麻婆と呼ぶ
      • 野菜煮込みとかね
  2. スパイスカレー
    • 手間ポイント:最初の玉ねぎをじっくり炒める工程
    • 初めに玉ねぎを油で炒め、クミンシードを炒めると、もうそれだけでカレーの香りがしてくる
      • ということは、ここに何をやっても、もうこれはカレーなのだ
      • 安心して自由にスパイスや具材をカスタマイズすればよい
  3. ピザ
    • 手間ポイント:生地を寝かせる工程
      • これは朝顔の観察日記をやるようなものである
    • 焼いた生地には何を載せてもいい

映画サブスクの無料お試し期間を試す

充実した動画サブスクはどんなに安くても月額千円程度、大抵は三千円したりするのがザラだ。しかし同時に、初月無料だったりする。メールアドレスとクレジットカード番号を手に入れたら、これを使って無料お試し期間だけ堪能できる。 映画も見るんだけど個人的には Amazon Prime Video で見ちゃうので、そこでしか見れないものを好んで見ている。

忘れずに解約すること。

漫画を読む

「映画を見る」も同じなんだけど、物語に入り込みすぎると、現実に引き戻されるときが辛いので、気をつけること。漫画だと長くても5巻くらいで終わるのがいい。短編集も良い。

オススメの漫画はこれ、みたいなのは書かないですよ

競技プログラミングをする

競技プログラミング(或いはプログラミングコンテスト, プロコン)というのはプログラミングを使った算数パズルのようなものだ。迷路やクロスワードパズルなんかを解くことが好きで、こんなものパソコンを使えばもっと簡単に解けるのに、と思ったことがあるならあなたは必ず好きになる。すぐに始められるものの内有名なものを二つだけ紹介してみる(実際にはもっといくらでもあるので探してみてください)。

Project Euler

projecteuler.net

英語なのはご容赦願いたい。 https://www.deepl.com/ とかに突っ込めば大体読めると思う。

このサイトでは大量の算数パズルが用意されている。 1つ目はこんな問題だ。

Problem 1 - Project Euler

「10未満の自然数で3または5の倍数を列挙したとき、その和は23である。では1000未満で列挙するとその和はいくらになるか?」

ここではどんな手段を使っても良いから、求めた答えを送信すればよい。 基本的にはプログラミングを駆使するわけだが、「紙とペン」を使って解くことも公式に容認されている。 しかし問題が複雑になるにつれて、それは叶わぬ夢になるだろう。 書いたプログラムはあなたの手元で実行する形式なので、どんなプログラミング言語を使ってもいいし、どんなCPUを使ってもいい。実行にどれだけ時間を掛けてもいい。あなたが責任を持つ限りは。

AtCoder

こちらは日本語だし解説も豊富なので人に勧めやすい。

atcoder.jp

コンテストという形式で問題が提供されている。コンテストというのは6問程度がセットになって、定められたある時間に公開されて、それを皆が一斉に解いて時間を競うというものである。ただし過去の問題はいつでも解ける状態になるので、直近にあったコンテストを開いてみて、解いてみれば良い。問題は簡単な順に並んでいる。AtCoder Beginners Contest という名前のコンテストが基本的には初心者向けの問題であって、その中の最初の4問程度(それぞれA問題からD問題と呼ばれる)は普通にプログラミングの教養で解けるようになっている。

こちらは Project Euler と違って、プログラムのソースコード自体を解答として提出する。プログラムはAtCoderのサーバ(ジャッジサーバと呼ばれる)の上でコンパイルされ、実行される。 一つの問題はその入力が固定されているわけではなくて、あらゆる入力に対して正しい出力をできるようなプログラムであることが求められる。 入力と出力は標準入出力というインターフェイスが使われる。 Unix文化でプログラミングをしてこなかった人にとってはまずここが一つのハードルかもしれないが、普通どんなプログラミング言語でもサポートがあるものなので、少し練習は必要かもしれないが、じきにすぐ慣れる。

atcoder.jp

Practice Contest というまさに形式に慣れるためだけのコンテストが常設されているので、ここで練習をするとよい。

先に述べたようにこちらはプログラムを向こうのサーバで実行する必要がある以上次の制約がある

  1. 実行時間に制限がある
    • 大抵は2秒から5秒程度で問題ごとに設定がある
  2. メモリ制限がある
    • 実行時間と同様
  3. 標準入出力を使って問題の入力と答えの出力を行う
  4. プログラム中からネットワークIOなどはできない(ファイル入出力も?)
  5. (十分な選択肢があるとはいえ)向こうが用意したプログラミング言語のどれかから選ぶ必要がある

趣味プログラミング, 盆栽

ところで単にプログラミングというのは楽しいものである。日常のパソコン作業で何でも良いからちょっとした手間が掛かっている作業を見つけたら覚えておくと良い。一回あたり数分以上掛かっていて、反復的に何度も行うような作業は、それはまさにパソコンにやってもらう作業である。例えば今どきは、紙の雑誌の代わりに初めから web ページの上で漫画を連載するということが少なくない。私はそういったものを欠かさずチェックしてる。毎週金曜日に必ず更新するサイトもあれば、隔週であったり、完全に不定期だったり、そういったものをチェックするのは一苦労である。というわけで、読んでるサイト全てをチェックするプログラムを動かしている。

(まさにこういった目的のためにRSSというものがかつてあったが、全部が全部提供してくれてるとは限らない。このプログラムはチェックしてる各 web ページにアクセスし、それはHTMLで書かれているからそこから更新情報らしき箇所を抜き出して、といったことをしている。少し前までは更新があったら Slack に通知を流すといった運用をしていたが、Slack のトークン情報を持たないといけないのが嫌だったりして、今は一つのRSS として出力するようにした。)

このプログラミングは完全に自分のためのものだから、自分にとって使いやすければ実は何でもいい。自分にとっての美しさだけをわがままに追求していい。また、自分が必要と感じて作ったものなので、使うのも自分であり、フィードバックが得られやすい。つまり、使っていく内にこうすればもっと便利なのに、という機能改善がいくらでも湧いて出てくる。これは飽きない作業である。

趣味プログラミングは盆栽によく似ている。

パズルゲームをやること

パズルゲームの良いところは基本的にずっと同じことをするゲームだからこそ、終わりがないところです。ルミネスという落ちものパズルが好きです。

ナンセンス文学・漫画を読む

エロ・グロ・ナンセンスのナンセンスである。馬鹿げているという意味じゃなくて、意味をなさないという意味の方のナンセンス。典型例として「ふしぎの国のアリス」がある。アリスは現実離れした世界を迷い進むことになるが、そこでは我々の常識で物事は動いておらずに言葉遊びが優先したルールになっている。ナンセンスは思考停止であるようで、普段使わない部分の脳みそを働かせると楽しめるようになっている。

お風呂に入る

たまには湯船にお湯を張る

散歩をする

歩いて散歩をするのは気晴らしに良い。自転車で散歩をするのも良い。自転車を漕いでると自転車を漕ぐことにしか集中しなくなるので良い。

登山

登山はたいてい、苦しい。 山頂に到着しての喜びとか、そんなものは大きくない。 大抵見晴らしは悪く、曇っているものだ。 それより覚えているのは道中の、早く帰りたい、なんでこんなところに私はいるんだろう、ということだ。

夢日記をつける

朝起きて、夢を見たら(というか、覚えてたら)それを日記に書く。 つまらないことに、夢日記をつけるようにしても気が狂ったりはしない。 私は狂ってはいない。 夢にはかつてあった自分が反映された平行世界の自分らしき別人の生活が現れる。

http://s.cympfh.cc/cympfh/memo?q=%E5%A4%A2%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%80%82

普通なんてものはハナから存在しないと知ること

普通なんてものはない。 便宜上、あるということになってるだけ。 他に「常識」などが挙げられる。

「平均をとる」はいつでも可能だとは限らないこと

例えば100人の集団がいたときに、身長の平均を取るといった操作が可能で、それによってあたかも(「あたかも」と言いましたよ)人間の身長の標準のようなものが得られる。それによって「成人男性の身長は普通何センチくらいだよね~」といった言説をすることができる。しかしそれは実に怪しい行為である。

例えば、コーシー分布には期待値が存在しない。 コレに従う値は原理的に平均を考えることが無駄である。

海を眺めること。荒ければ荒いほど良い。

言ってみれば海はパチンコだと思う。小さい波が来て、予想の出来ないタイミングで大きな波が来て、また小さい波が続いたから、そろそろ大きめのが来るだろうななどとぼんやり眺める。パチンコは波が来るルールを人間が設計してるからそのルールをなんとなく把握してしかもお金が掛かっているので、より強力な刺激であるが、根底にあるのはたぶん同じだと思う。

同様に、動いてる洗濯機を眺める、もある。中身が透けて見えるドラム式洗濯機が便利。

催眠音声を聞く

催眠音声と言ったけど、似たジャンルとしてASMR、ボイスドラマなどある。dlsite で売れ筋を探すとたいていサンプルがあるので、漁ると良い。 現実逃避という意味ではストーリーがあるようなものがいいと思う。 オススメするのはストーリーのあるボイスドラマでありつつ女の子がずっとラップをするという「フリースタイル・ヒプノシス」。

www.dlsite.com

数学

自然科学というジャンルがあり、数学はそこに便宜上入れられたり、或いは入れられなかったりする。 自然科学というのは普通は物理学や化け学のことを言う。これらは絶対の真理として現実世界がある。例えば、どういうわけだか現実世界には万有引力というルールがあって、しかもそれは数式ではこのように書ける、という研究の道筋がある。 仮に、ルールが少し違ったときのことを考えよう。例えば万有引力というのは二つの質量があったときに互いに引き合う力が働くというルールだが、その力の大きさは距離に対する反2乗に比例する。 我々の宇宙は全てそれに従っており、その御蔭で、今我々が暮らすいわゆる世界があるわけなので、違うルールについて考えるのは、SFとしては面白くても、物理学の対象ではないとされている。 仮に例えば反2.1乗に比例するような世界だったとしよう。ほんの僅かな違いなら、世界はほんの僅かしか違わないかもしれない。いや蝶の羽ばたきが台風を起こすように、全く違う太陽系に全く規模の違う地球があって、生命など生まれなかったかもしれない。 どちらにせよ、我々には関係ないことである。 関係ないセカイについて想像するのは自由だが、興味の対象ではないというわけだ。 というわけで、自然科学というジャンルは大変に現実主義である。

一方で数学は自然科学を超えてシュールレアリスムの世界に入っていると言っていい。数学では何が正しいとかは、あまりない(語弊!)。 例えば現実にあると思われる自然数や、現実にあると思われるユークリッド幾何の研究は、数学外の必要から生じたと思われるが、やがて、あると便利だろう実数や複素数という概念を獲得し、或いは、便利さはわからないけれど、考えることは出来るので考える非ユークリッド幾何学がある。(ところで、実数 (real number) はその名前に反して、実際にあるのか大変怪しいと私は思っている。有理数までが現実の数であって、実数の存在に気づいてしまったピタゴラス教団の話は、ゼロ、負数、虚数の発見に比べてインパクトが薄いが、全然そんなことはない。もっと不思議なものとして学校で取り扱われるべきだと思う。) もっとも、数学の対象でしかない数といったものが、現実世界にあるかどうか、とか考えるのが数学から見れば全くバカげている。 今の数学は普通、初めに公理系を述べて議論できることを議論するだけである。 公理系というのがセカイのルールの記述であって、そこからスタートして言えることを言っているに過ぎない。 良さが二つある。

  1. 言ってしまえば前提を要しない
    • 一つの数学書が思い描くセカイのルールは全て第一章あたりに書いてあるので、他の数学書を参考にする必要がない
    • この作者が思い描くセカイではこれが正しい、ということを言っているに過ぎない
      • 別の本を見て一見真逆のことを言っていたとしても考えてるセカイが違うだけ
  2. 現実とは無関係
    • 数学はしばしば現実を思わせる用語を使いたがるが(集合とか森とか宇宙とか)、現実の話はしていない
      • (あくまで「適用可能」であるだけだ)

新しい言語を学ぶ

学ぶことは常に楽しいことだ。 とりわけ言語の学習ほど容易でありながら難解なものはない。 ロシア語はどんなに難しくても、ロシアに生まれ育った五歳児なら誰でも聞き取れて話せる。もう数年すれば読み書きも出来る。言語というのはそういうものだ。

新しいプログラミング言語を学ぶ

自然言語と違ってもっと簡単にマスター出来てしまうのがプログラミング言語だ。 自然言語には仕様書なんてない。せいぜい第三者が書いたマニュアルに過ぎない。 一方でプログラミング言語には完全な仕様書が存在する。 そこに書いてあることが全てであって、例外が無い。 大きな言語の仕様書は読むのに苦労するだろうが、たとえば Scheme はどうだろうか。 これの最新版はやはり大きいが、少し昔の R5RS(第5版という程度の意味)のマニュアルの日本語訳がここにある。

www.unixuser.org

なんと49ページらしい。

プログラミング言語ではないが、YAMLJSON、あるいは Markdown の仕様を読むのも楽しい。

ペットの相手をする

ペット相手に話す、普段はしないぐらいの手の入った掃除をするなど。

音楽を聞きながら一緒に歌う

音楽を聞くのが楽しいのは多くの人が気づいてると思うが、一緒に歌うとさらに楽しい。歌うのが大変で量が多いほど良い。というわけで最近は好んで日本語ラップを聞いてる。

しかしラップというのはラップ自体(あるいはヒップホップ?)について歌ってるのが多いなあ。上にあげた3つは全部そう。 文脈が分からないとわかりにくいというのはデメリットだと思う。

大声を出す

大声を出すことは単純に気持ちの良いことだ。ストレスの発散になる。 誰も居ない家であーーーっと大声を出してみる。少し気が晴れる。 また、自己催眠の効果がある。 「地獄の新人研修」なんかでぐぐると、これの悪用方法が出てくる。 内容はともかく、達成感だけは得られる。

www.youtube.com

上手く使えば便利だと思うが、上手な使い方が分からない。

他人を信用しすぎないこと

org-mode を使うこと

人間を見に行くこと

人間の大きな集団がいるのを眺めるのはたまになら楽しいことである。 世間とはこういう人たちのことを言うのであって、自分は部外者なんだと実感することができる。

個人的に好きなのは左翼のデモを見に行くことである。これは皆さんにもオススメする。左翼思想が嫌いだという人は、チャンスは少ないが天皇誕生日のデモのような、過激なデモに行くことをオススメする。こういうデモなら、普段顔を出さない右翼がカウンターデモ(デモが通過する道中のどこかで演説(というか罵声))をやってるので、衝突を見ることが出来る。たまに軍服を来たあからさまにヤクザな人がデモに突入しようとして機動隊に止められる姿を見ることができる。こうなると、もはや観客は、どの思想を応援しようなどという考えがバカらしいことに気づく。これは単に、人間を観察する場なのだ。

アニメを見ること

dアニメストアに入りなさい。月額440円で大体大抵のアニメ(バンダイチャンネル系を除く)が見れる。

らんま1/2を見ること

ギャラクシーエンジェルを見ること

てーきゅうを見ること

アニメをBGMとして使うこと

見たことのないアニメから傑作を漁るのは楽しい行為だが、体力の必要な行為でもある。 面白いと分かっていて、すでに何度も見たことのあるアニメを見返すのは、大した体力を要さないし、心の安寧を得られる行為である。 自分が帰るべき家に帰るようなものである。

何度も繰り返し見たアニメはストーリーは全部把握してるし、異様に一つ一つのセリフを完璧に覚えてしまうものだ。そういったものはもはや、環境音だと言っていい。(人の家にはその家のBGMがあるというものだ。)別な作業のBGMにできる。25分程度の区切りを与えてくれるのもまた良い。

インターネットを見ること

インターネットは言わば雑誌であります。どんな記事もカバーされています。あなたの画期的に思えるアイデアをよく探せば類似のものが見つかります。

さて、これの何が良いか。 あなたにとって心地よいものがどこかにあるという点です。 あなたがどんな生まれでどんな宗派でどんな政治的意見を持っていてどんな本を読む人間でも、大丈夫です。 あなたは仲間です。

インターネットを見ないこと

インターネットは言わば雑誌であります。ただし記事は全く校正されたものではありません。この記事もそうですね。 何故人間はそんなものに夢中になってしまうのか。 脂が乗ってカロリーの高い食べ物を美味しく感じてしまうのと全く同様に、情報量が脳にとっての麻薬物質だからです。 フィクション作品を楽しむことが出来るのと同様に、内容の正しさはあまり関係ありません。 ですから質は問題ではないのです。

インターネットを止めて脳を労りましょう。

SNS はクソです。

世間は世間であって自分とは無関係だと割り切ること

世間という化け物がこの世にはいるんです。怖いですね。

近所の居酒屋に入ってみたのですが、そこにいました。常連で互いに顔見知りの間のようで、その時はたまたま、私の生まれ故郷の話をしていました。ベタ褒めしていましたね。やれ、魚が美味いだの、人間が上品だの。結局それは観光客としての意見なので、生まれ育った私の意見と食い違うのはしょうがないと思います。それにしてもあんな大嘘をばら撒くなんて酷いじゃないですか。よっぽど割り込んで言ってやろうかと思いました。いいえ、ろくに名産もないし、人間は全部下品だと。後者については私のまさにその行為で以て証明できるなと笑いながら、お店を出ましたけど。

写真を撮ること

カメラは世間と自分とを切り離す道具であると言ったら、驚くだろうか。 実はそうなんだ。

写真にはいろんな撮り方がある。 素通しのファインダーがあるカメラは、特にこの効果があるからオススメだ。 そんなカメラで最も手に入りやすいのが使い捨てカメラだ。1000円程度で手に入ったと思う。 そのようなカメラには背面液晶なんてもちろん無いから、素通しのファインダーに右目を当て、左目はただつむり、写真として現像されるであろう風景を眺めることだけができる。ことしかできない。

私が好きな写真の撮り方を紹介する。 大通りに出かけよう。 大通りには大きな交差点があり、そこには大きな横断歩道があると思う。 信号というのは必ずどこかは赤信号だから、そこに立って、カメラを車道側に向けよう。 誰もあなたのことなんて気にしては居ない。 あなたはただ車が走る風景だけを見ていればいい。 やがて信号は変わって、前方から化け物集団が闊歩してやってくる。 あなたは何もしなくていい。 やっぱりただカメラを向けて、ファインダーを覗き込んでるだけでいい。 何人かはカメラに気づいて避けたりするけれど、大抵は気にしない。 あなたはもし気が向いたらシャッターを押せばいい。 押さなくてもいい。

下を向いて散歩をすること

顔を上げて歩くと元気よく咲く花がなんだか偉そうに説教を垂れてくる気がする。アスファルトの上で踏み荒らされた桜の花びらは何も言ってこないから良いですね。ざまぁみろと思います。

電車に乗らないで散歩すること

電車に乗る用事があるなら代わりに2駅くらい歩くといいですよ。

お酒を飲む

オススメはしない。代替手段が見つかるならそれがいい。 交友関係が広い人なんかにはいいかもしれない。

生物的欲求を満たす

感情というのはまさか人間に特別な高尚で複雑で神秘的な何かというわけではない。肉体変化に対する予測を含めた認知であるというのが一つの見方だ。これを採用することにしよう。例えば緊張するという感情が心臓バクバクを導いているように思ってるかもしれないが、これは実は因果関係が逆である。何か心拍を激しくさせなければ行けない事情があるから心臓がバクバク言っているのであって、緊張という感情はその現象への認知に過ぎない。 あなたが今ネガティブな感情にあるならその原因が他にあるはずだ。実はお腹が空いてるとか、最近寝てないとか、寒いとか。まずそちらを先に解決させることを優先する。何はともあれ温かい布団に横になってご飯を食べてオナニーをしてみると良いかもしれない。

寝る

寝れば勝ち